不登校の子どもはどうして学校に行けないのか、どうして動けないのか、悩んで落ち込みます。そんな子どもと一緒に、不登校の子どもの親も平静を装っていますが、正直しんどいときもあります。わかります。もう、この悩みから解放されたい。この状況から逃げ出したい。自分の子どもを自分の分身だと思う気持ちが強いほど、痛みを伴うしんどさです。しんどいときは、誰かに話して、少しでも吐き出しましょう。気持ちが少し楽になると思います。親ですが、しんどい時は、しんどいと言ってもいいんです。悩んでいても、どうにもならないものはどうにもなりません。
不登校の親が悩むこと4選
子どもが学校に行かなくなると
色々な壁が出現します。
登校してた時には考えもしなかったような
悩み事です。
はじめは誰にも相談できずに
夫と二人で話し合うことができずに
暗闇の中にいるようでした。
このブログに辿り着かれた方も
まさにその壁の前に立たされて、呆然とされている
かもしれません。
私がその壁の前でぐるぐると考えていたことを
書いてみようと思います。
仕事を辞めるかどうか問題
我が家の長女が不登校になったのは
高校3年生の時だったので、ひとりで留守番もできるし
食事も自分で用意できる年だったので
私が生活を変える必要はありませんでした。
ですが、次女が不登校になったのは
中学1年生の2月だったので、
ひとりで留守番はできたのですが、
まだ、食事の用意はできない頃で、
なんとなく心配で、仕事中も次女のことが
頭から離れない生活をしていました。
(私が仕事を辞めて、次女と一緒に自宅にいてあげたほうがいいのではないか)
と、不登校になった初期には思ったりもしました。
そこで、地元の【不登校の親の会】に参加して
先輩方に聞いてみました。
すると、ほぼ全員が、
「仕事は辞めない方がいい」との意見でした。
お子さんが小学校低学年から
不登校になったという親御さんは、
教員をされていたそうですが、
一人で留守番はさせられないので
退職されたとのことでした。
でも、今は退職しなければよかったと。
理由は、不登校の子どもと毎日、毎日、1日中向き合う
ことは、相当大変だから。
それを聞いて、
(確かに、毎日、子どもの不安定な様子を見ているのはきついなあ…)
と思っている自分がいました。
そして今はやはり辞めなくてよかったと思っています。
一緒にいて、子どもの不安定さに飲み込まれて
自分の機嫌も振り回されてしまうと、
家庭環境が崩れてしまいます。
家庭とは、大黒柱の稼ぎと家内の家事育児を担うものの
機嫌の安定で、平穏を保てると思います。
私は、心の安定が保てなくなって
療養休暇をとりましたが、退職はしませんでした。
やはり職場が自分自身の気持ちの切り替え場所
になっていて、今では、不登校の子どもの
相談を聞いてくれる同僚もいます。
自身の心のバランスを崩さず、
機嫌よく子どもと向き合える状態にしていることが
何よりも重要だと思っています。
不登校を不憫に思って
親が一緒にいてあげた方がいいのではないか
と考えるのは親側の気持ちであって、
子ども側からしてみれば、親がいない方が
心が休まることもあるようです。
いつも監視するように親がいるのは
息が詰まります。
小学校の低学年では、ひとりでお留守番させるのは
心配かもしれませんが、
親戚の力を借りたり、子どもの見守りをしてくれる
公的なサービスを利用するとか、
なるべく、自分の居場所は無くさないほうが
後々のためにも良いような気がします。
不登校は長期戦になる可能性もあります。
自分のせいで親の生活が変わってしまったと
子どもに罪悪感を持たせないためにも
なるべく生活は変えない工夫がいるように思います。
仕事と不登校のことを考えることが両立できなくなった
職場に行っても、自宅で留守番している子どものことが
頭から離れずに、心配でしょうがない。
そんな時期が何ヶ月も続きました。
考えて、考えて、考えました。
でも、どんなに考えたとて、
子どもの生活は何も変わりませんでした。
なぜなら、子どもの人生は、子どものものであり、
母親の私にはどうすることもできないからです。
考えても無駄なのです。
だから、考えることはやめる。
子どもの力を信じる。
子離れをする時期だと捉える。
自分の子どもが不登校になるまで、
子どもが不登校になる親は、
ネグレクト気味で、
子どもに無関心で、
放っておくから不登校になる場合が多い
と思っていました。
でも、自分の子どもが不登校になって
色々調べてみて、それまで考えていた
不登校の親像が全く真逆だったことに
気がつきました。
原因は、放任ではなく、過干渉。
自分が、過干渉な親だとも気づいていませんでした。
しっかりした親にならなければいけない。
まだ足りない、まだ足りない。
もっとしっかりした子どもに育てなければ。
そんな風に子育てをしていました。
楽しくない、辛い子育て。
そんな気持ちは子どもにも伝わるわけで。
子どもにも、楽しくない、辛い生活を強いていました。
いつも、仕事が終わると
(ああ、また宿題させなきゃ。ああ、また怒らなきゃ。
帰りたくないなあ…)
そう思っていました。
子どもにも、そんな気持ちが
伝わっていたのかもしれません。
そんな子育ては、続きませんでした。
自分も大事にする子育てをすればいい。
それは、子どもが不登校になってからも変わりません。
自分を大事にすることができれば、
子どもを大事にする余裕も生まれます。
いつもいつも、子どものことを心配したり
考えたりしていなくても良かったのだと気づきました。
それが、過干渉というもの。
よくドラマでみる、
過干渉な母親に自分が見事になっていました。
不登校をどうしたらいいのか考えて、考えて
仕事にも手がつかなくなって、
私は療養休暇に入りました。
母親がいないと寂しいのではないかと思った
私が療養休暇に入って、自宅にいたからって、
子どもが元気になるわけでもなく。
状況は好転するわけでもなく
ただただ暗闇に
子どもは子どもの暗いトンネルに
私は私の暗いトンネルに突入。
母親がいてもいなくても、
子どもが暗いトンネルから出てくるまでは
ある程度の時間がかかります。
子どもが元気になって
トンネルから出てくるタイミングは子どもが決める。
そしてそのタイミングは、
母親の私が元気になった後で、追いかけてくるように
やってきました。
母親がいなくて寂しいより
母親が元気で笑っているから嬉しいの方が
勝つんです。
母親の態度や機嫌が
子どもに影響を与えるのは当たり前のことで、
いかに自分が機嫌よくいられるか
安心感を子どもに与え続けられるか
それが一番大切なことだったと今は思います。
お母さんが機嫌よく帰ってくるなら、
仕事に行こうが行きまいが
家に居ようが居なかろうが
子どもにはあまり関係がないようです。
親が居ることでプレッシャーを感じてしまう
子どももいることを知っておく必要があります。
子どもが母親に「家に居て!」というのは
子ども側から見ると
親離れができていないということでもあります。
いつまでも、一生子どもに付き添うことはできません。
ライオンキングのシンバをお父さんが崖から突き落としたように、親の方から、子どもの自立を促す瞬間が
やってきたと覚悟を決める時です。
親が送っていけば学校やフリースクールに毎日行ってくれると思った
学校に行くことが辛いのは、
歩いて行くから面倒だからではありません。
他に原因があるのに、短絡的に
車で送ってあげれば、行ってくれるかもしれない
と考えたこともありました。
でも、小児精神科の先生に言われたことは、
「仕事を辞めたからって、学校へ行くわけではない」
のひとことでした。
確かに…
そういうことではないよね。
何も言い返せない。
(先生は、私の気持ちが読めるのか)
いやいや、不登校の親が考えることが
わかっているからです。
登校を期待して仕事を辞めることはしないほうがいい。
親の仕事と、子どもの不登校は関係ないようです。
立ち直るタイミングを親がコントロールできるわけではない。
大丈夫です。
必ず立ち上がる力はあります。
自分の子ですから、信じて待つだけです。
それでは、また。
YG@_@のつぶやき…
今日は、長女が帰省していて、
みんなでゲームをしていました。
次女がマリオメーカーで作ったコースを
私と夫、長女が協力してプレイします。
なかなかの難しさで、結局、クリアするのに
2時間もかかりました。
「わーーー!ぎゃーーーー!」
叫びすぎて、声が枯れてしまったようです。
声が枯れるほど叫ぶ元気ができたことも
幸せなことです。