下の子が中学生になると、途端に子育ての手間が軽くなりました。部活とテスト勉強、学校行事で帰りも遅くなりました。長女は高校3年生になって、本格的に受験期に入って、学校帰りに塾に通っていたので送り迎えの手間もなくなっていました。急に子育てで割いてきた時間がぽっかり空いて、暇になった気がしたのです。「私の子育ては終わったのかな?」そんな勘違いをして、子育てにかけてきたエネルギーを仕事に全振りしてしまったのが間違いの始まりでした。子育てがついに佳境を迎える前の静けさだとは気づいていませんでした。
子育てが楽になったとの幻想
2人の子どもの子育てを頑張ってきました。
忙しい毎日を17年間、ノンストップで続けてきました。
子どもたちが小さい頃は、
ただただ、子育ては楽しくて。
その頃の私の趣味は、【子育て】でした。
イライラしたり疲れたりしても、若さゆえに
寝て起きれば元気になっていて、またリセット。
元気に子どもたちと向き合って、
楽しく毎日を過ごしていました。
仕事もやって家事も全てやって、子育てもやって、
自分でも結構頑張っていたと思います。
小さい頃から、浅く広く器用にこなせる性格だったので
子どもたちの学校の持ち物は手作り、
ガーデニング、BBQ、プール
遊園地で絶叫系の乗り物に乗る。
子どもたちを喜ばせたり、楽しませたりする術は、
結構もちあわせている方だと思っていました。
でも、違っていました。
それに、自分では気づいていなかったのです。
うまくやっていると思っていた。過信していた。
その歪みが出てきたのが、
長女が高校3年生になり、いよいよ
大学受験の準備が始まった頃でした。
ちょうどその春から、次女が中学校に上がって、
部活も始めて、帰りが18時半くらいになり、
パートで、9時〜16時の仕事をしていた私は、
帰宅してから、今まで切望していた
【一人の時間】が持てるようになりました。
トイレで一人でゆっくりすることもままならなかった
子育ての日々。
下の子が小学生の頃は、毎日、ゲームをしながら
親の帰りを待ってくれていたため、
仕事が終わって帰るとすぐに
夕飯の支度にとりかかりました。
そこからは、夕飯を作りながら次女の宿題をさせて、
お風呂に入らせて、早く寝かせなきゃいけないので、
寝るまで、ずっと小走りで動き回っている状態。
そのうちに、長女と夫が帰ってきて、
それぞれにご飯をよそって、お味噌汁を温めて。
私はレストランのシェフ兼ウェイターだな
なんて思いながら動き回っていました。
子育てって大変だけど、こんなものと割り切って、
自分たちなりに楽しく、ワイワイと過ごしていました。
そんな感じで、ずっと子どもたちと一緒にいたのに、
下の子が中学校に行った途端、
子どもたちが巣立ったような感覚になってしまって。
「あれ?私の手が空いたなあ。なんか余裕ができた」
そんな気分になりました。
子育てという、一生終わらない
長い旅路の途中に現れた
オアシスを一瞬見つけただけだったのに。
自分の限界を正確に知ることの大切さ
ちょうどその時、
職場の仕事がとても忙しい時期でした。
グループは、係長・正職員1人・相談員の私を含めて
3人体制でした。
私は児童福祉関係の相談員をしています。
俗に言う6時間勤務のパートさんです。
今思えば、その時の仕事量は、
3人で回せるような量ではなかった。
私が短時間勤務だったので、その皺寄せが
係長と正職員にのし掛かって2人とも
残業続きて、パンク寸前でした。
なので、正職員の女性が、
「疲れたー。お腹すいたー。ねむい〜。帰りたーい」
と無意識なのか、愚痴るのが癖なのか、
本当に、毎日、毎日、毎日、一日中愚痴っているのを
聞き(聞かされ)ながら、
時には飴ちゃんをあげて励ましながら
仕事をしていました。
グループの仲はとても良かったので、いつも、
忙しい2人をなんとか助けたいと思ってました。
そんな時に、プライベートで
手が空いた感覚を味わってしまったことで
(2人を助けることができるかもしれない!)
と思って(勘違いして)しまって、
私も残業をして、2人からこぼれ落ちている仕事を
進んで請け負うようになりました。
それが、私の【見当違いな行動その①】だったのです。
確かに誰かを助けることは大切なことで、
素晴らしいことです。
ですが、自分の身を削ってまで、
家族の世話を蔑ろにしてまで、
仕事で疲れたイライラを家族にぶちまけてまで
することではなかった。
今ならそう思います。
体調不良の始まり
案の定、自分の体力も気力も消耗していきました。
でも毎日やることは変わらず、
子どもたちと自分の3つ分のお弁当を作って、
3本の水筒にお茶を入れて、包んで
長女を駅まで車で送って。
自宅に戻ってくると
玄関まで迎えにきてくれている
次女の友達の応対をしながら
次女の支度の促しをしてなんとか送り出し、
その後、自分の支度をして、
始業時間ギリギリに職場に到着する。
それを毎日繰り返しながら、
2〜3時間の残業をしてから帰宅。
そしてまた、夕方からのルーティンの始まり。
まさにギリギリの綱渡り状態。
余裕なんて1ミリもありませんでした。
でも…
家事と育児は、どこのお母さんもやっていること。
仕事をしているけど、
フルタイムで働いているわけではないから、
私はまだ恵まれている方。
(だから、頑張らなきゃ。頑張らないといけない。)
そう思いながら、
自分で自分をどんどん追い込んでいきました。
その頃から、夜、寝ても、
必ず2〜3回は夜中に目が覚めるようになって。
年齢のせいかな?なんて思いながら、
このくらいの子どもを持つ母親はこんなもの。
みんな頑張っているんだから、私もやらないとって。
どんどん、どんどん、追い詰めて、追い詰めて。
私は大丈夫。
やれる。やれるはず、と信じて
毎日を騙し騙し過ごしていました。
でも、やっぱり人間には限界があって。
車での通勤途中で、
海岸線ギリギリを通って行く道があるのですが、
そこを通る時に。
(このまま海にハンドルを切ったら、どうなるだろう)
(苦しいかな)
(仕事休めるかな)
(楽になれるかな)
と、その頃には
そんなことを考えるようになっていました。
当たり散らかす日々の末路
当然、その頃から、私は壊れていきました。
自分では気づいていませんでしたが、
のちに「あの頃からママ疲れてたよね」
と子ども達に言われました。
そうだったのかあ。
私、疲れてたんだあ。
人間は疲れていると判断能力が鈍ると言うのは本当で、
当時の私は、自分が一番、
自分自身のことを理解していませんでした。
なんだか、毎日苦しい。
辛い。
イライラする。
その原因が、子どもたちや夫にあると思い、
当たり散らかし始めました。
毎日、自転車で10分ほどの距離にある駅まで
自分で行かず、車で送迎してと頼んでくる長女。
クラスの男の子が嫌なことを言ってくると
毎日、毎日、愚痴ってくる次女。
家事をほとんど手伝わない夫。
たまーに、気が向いた時にお皿洗いをやって
「俺はやっている!」とキレる始末。
そんなイライラが募りに募って、
ある朝、長女を送っている車の中で
ついに、というか、何かの枷が外れて
ブチギレてしまいました。
「何で電車に間に合わないの!
何で自転車で駅まで行けないの?
毎日、毎日、ギリギリで、
何で時間を考えて支度できないの?」
本気で怒鳴りました。あんな大きな声で。
逆にちょっとスッキリするくらい。
その次の日からです。
まずは、長女が学校に行くことをやめました。
それでは、また。