不登校の朝、私が絶望していた頃の話

⭐️不登校

※このブログを初めて読んでくださる方へ、まず読んでいただきたい記事です。

重たい朝

あの頃の私は、
子どもを守ろうとして、必死でした。

必要以上に、自分を追い詰めていました。
そして、長い長いトンネルに吸い込まれるように
どん底へと落ちていきました。

子どもは何も言わず、布団をかぶったままでした。

朝が来るのが、少し怖い時期がありました。
目覚ましは鳴っているのに、人の動く気配がない。
家の中は、静かなまま。
ただ、子ども部屋の目覚ましが鳴り続ける。

「今日も行かないのかな…」

カーテンの隙間から入る太陽の光が、やけに強く感じました。
外からは、学校へ向かう小学生の話し声。

ランドセルにつけたキーホルダーが歩くたびに
カチャカチャ音を立てる。

楽しそうな子ども達の声が、
あんなにうるさく感じたのはあの頃が初めてでした。

世界中でこんなに家の中が静かなのは、うちだけかもな…

そんなことをひとりで考えていた、重たい朝。

開かない子ども部屋の扉を横目に、
重い足取りで1階のリビングへと降りてく。

子どもが動かない家のリビングは静かで空気が冷たい。
カーテンを開けるのも気が重く感じていました。

絶望していた私

「このままどうなるんだろう」
その頃の私は、未来のことばかりを考えて、心配して、
目の前の我が子をちゃんと見れていませんでした。

いい高校に入って、いい大学に行って、いいところに就職する

それが、人生の正解だと思っていた私は、
想定外の動きを始めた子どもに、
思考が全くついていけていませんでした。

・あの子の人生はどうなるんだろう
・あの子の人生は終わってしまった。

そんなふうにしか考えられなかった私は、
周りからの目ばかりを気にして、
可哀想だと思われていると腹立たしい気持ちが入り混じっていました。

「なんであの子は学校に行けるのに、
うちの子はいけないんだろう」

同学年の子どもたちと比較して、
学校に行く=正義
学校に行かない=悪
そんな分類をして、這い上がれない沼にどっぷりとハマっていました。

変えられるものに気づく

毎日、毎日、悩んで。

学校にも相談に行って。

でも、学校は、すぐには変わらない。
毎日登校してくる大勢の子ども達のお世話で手いっぱいで
不登校の子にかまっている時間はない。

対応するのは、すべての授業と作業が終わった放課後。
先生が帰宅する直前の時間。

こんなんじゃあ、学校に頼ったとしても
未来は、約束されない。

誰に頼ったらいいのか。
親がひとりで解決しなければいけない問題なのか。
誰が悪いのか。
なんでこんなことになってしまったのか。

道東巡りを繰り返して、頭の中で犯人探し。
そんなことをいくら繰り返しても、答えなんて見つかりませんでした。

自分の都合のいいように周りは変わらない。

でも、
私の向き合い方だったら、今日から変えられると気づいたんです。

他人を変えることはできなくても、自分は変えられる。

・学校に行かないこども
・忙しい先生
・腫れ物に触るような目でみてくるママ友

他人は変えられなくても、
自分だったら今すぐにでも変えられると気づきました。

私がやめたこと

子どもが不登校になってやめたことが3つあります。

まず辞めたこと。

それは、「今日は学校どうするの?」と聞くこと。

学校に行くのも、行かないと決めるのも子ども次第
子どもの人生は子どものもの。

そんな当たり前のことに、気づいていなかったのです。

そういえば、長女が中学生になったときに、学校説明会で先生が言っていた。

「受験するのもお子さんで、高校に通うのもお子さんです。親御さんたちではないのです。」

何を当たり前のことを言っているのだろうとその時は思っていたが、
以前の私は、子供の人生も母親の私がコントロールできると
心の奥底では思っていた。

そして、自分の人生のリベンジを子どもにさせようとしていた。
国立大学に行けなかった夢を子どもに託していた。
今思えば、つまらない夢です。
人の人生は進学先では決まらない。

2つ目は、他の子どもと比べることをやめました。

幼稚園の頃からの同級生たちの進路や動向がとにかく気になる。
・中学受験をした
・スポーツでスカウトがきた
・学年でトップの成績になった

とにかく気になる。

「よそはよそ。うちはうち」

子どもが小さい頃には、ゲームを欲しがる子どもに
呪文のように使っていた言葉を、自分自身が一番わかっていなかった。

3つ目は、「普通」を基準にすること。

普通は学校に行って、部活もして、勉強も頑張って。

文武両道なんて看板が学校にも掲げられていて。

みんなできて当たり前。それが“普通”。

私自身が幼少期から刷り込まれてきた常識=普通

普通からはみ出すことは、あってはならない。

そんな枠組み。そこからはみ出す恐怖。

そんな不自由を抱えて生きてきた、私の鉛の鎧

これらを、捨てました。

変わったのは…

変わったのは、私。私自身

子どもを自分の人生の主役にして、黒子になるどころか、
影武者になって奔走していた母親の私。

でも、私の人生の主役は、私なんです。

子どもを主役にしない。

そう思ってから、澱んで見えていた空がまた青さを取り戻しました。

子どもが劇的に変わったわけではありません。

でも、家の空気は少しやわらぎました。

そして何より、私の視野が変わりました。

家庭の大黒柱は父親である場合が多いかもしれない。

でも家庭の精神の支柱は、母親である場合が多い。

その母親が自分を見失って、子どもに依存して、
自分自身の人生を楽しめなくなっていた
としたら。

毎日、「疲れた、疲れた」が口癖で、
人生を楽しんでいる背中を見せられなくなっていたとしたら。

家族の幸せは、母親の健康、母親の笑顔に左右されるのです。

母親が穏やかでいれば、家庭内の空気も穏やかになる。

家庭の重苦しい空気のひとつの原因は、やっぱり私だった。

じゃあ、私が変わればいい

そしたら、空気も変わる。家族も変わる。

それに気づいたのです。

私の人生の主役は、私

私の背中を押してくれたもの

希望は、
大きな変化の中にあると思っていました。

でも違いました。

・劇的には変わらない
・でも家の空気は変わった
・会話が戻った
・笑う回数が増えた

希望は、
子どもが学校に戻ることじゃなかった

親が、子どもを信じ直すこと。
そこから、静かに始まるものがある。

子どもは、思っているほど弱くないし、
自分で色々考えている。

母親がいつまでも手取り足取り進むべき道を示さなくても
自分の足で歩き始めます。

そうなった時、母親の自分は、自分の足で真っ直ぐ立っていられるのか。

楽しい自分でいられるのか。

そして基点は、私が、子どもを信じられるようになったこと。

ひとりぽっちになった気になっていませんか?

あなたは、一人じゃない。

一人で抱え込まないで。話せる場所があります。

🌱もし今、心が限界なら。

親が整うことは、逃げではありません。

私もひとりで抱え込んでいました。
そのとき私が支えられたものを、ここに置いておきます。

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