不登校は突然なるものではないと思います。今考えると、いろいろなサインが子どもから出ていた気がします。それに気づかず、うっすら気づいていても気づかないふりをして聞き流していました。その積み重ねで、登校しぶり、不登校と、今の状態に流れ着いたような感覚です。不登校の影が迫ってきている時に、気づいてあげられていたら、もしかしたら、不登校にならないでいたかもしれません。でも今更、考えても過去は変えらません。前向きに、学校に行かない選択をした次女を受け入れたいと思います。
子どもの心の声に気づいてあげられなかった
長女が大学受験期に突入したと同時に、
当時、中学1年生だった次女の
学校での愚痴が増えていきました。
毎日、毎日、帰ってくると
「今日もさあ〜、」と同じ男の子の愚痴が始まります。
正直、長女が学校に行っていなかったので
そちらの方が心配で、
愚痴を言いながらも
まだ学校に行けていた次女の話は
ちょちょらに聞いていたのです。
たまには、その男の子は次女が好きなんじゃないの?
なんて茶化しながら。
でも、それが、こんなに長く続く
不登校の原因になるとは、思ってもいませんでした。
こどもたちは学校で、
色々なストレスにさらされています。
私たち大人が、会社でストレスにさらされているのと
全く同じです。
大人は、息抜きに仕事帰りに買い物に行って
衝動買いしたり、カフェで一息ついたり
ストレス発散方法は色々とあります。
でも、子どもたちは、
学校と自宅の往復だけの生活で、
上手にストレスを発散できない子もいます。
そんな我が子の心の声に
私は気づいてあげられませんでした。
息切れに気づかない母親
子どもはよく親の顔色を見ています。
きっと、その頃の私が長女にかかりっきりで
自分の方には目を向けてくれていないと
次女は気づいていたのだと思います。
長女と受験の話をしていると、
よく話を遮って、どうでもいい話をしてきました。
それに、イラッとする私。
無表情で、次女の話をスルーしていた気がします。
次女は、勉強も部活も、合唱コンクールの指揮者も
放送委員も、朝の挨拶係も、
本当に色々なことを一生懸命に頑張っていました。
他の中学生だって、そのぐらい頑張っていますよね。
でも、一人一人、キャパは決まっていて、
他の子ができるからと言って、
うちの子もできるわけではない。
多分、次女は
自分の限界を超えていたのだと思います。
相当、頑張っていたのだと思います。
良い子で頑張ろうと。
ギリギリで毎日頑張って登校していたのに、
教室では、男子からの嫌がらせが
日に日に増えていきました。
私と子どもの限界
その頃から次女も登校しぶりが始まりました。
1週間に1日欠席が、2日欠席する週も出てきて。
遅刻も多くなって。
朝起きれなくなって。
夏休みに入る頃に行われた個人面談で
欠席の連絡をしたのに、担任に呼び出されました。
通常は15分の面談が、気がつけば1時間も
先生と話していました。
長女が不登校になっている中で、
次女が登校しぶりになって、仕事もあるし、
どうしても上手く次女を登校させられない。
と、担任に相談したところ
担任:「お母さん!朝は元気に、いってらっしゃいって
笑顔で送り出してあげればいいんですよ!
私も子どもにそうしてます!笑顔で頑張りましょう!」
そんなの知ってる。怒
笑顔で送り出せばいいと、私だって思ってる。
でもその頃には、もう、私は
子どもたちに対して上手く笑えなくなっていました。
私なりに頑張っているのに、さらに頑張れって。
私にはもう無理。
逃げたい。
消えてなくなりたい。
そこは、私のこれから始まる病の入口でもありました。
次女の地獄のはじまり
個人面談の時に、次女が
特定の男子から嫌がらせを受けて困っていると
担任に話したにも関わらず、
その後すぐにあった席替えで、
次女は、
その嫌がらせをしてくる男子と前後に席になりました。
嗚呼、そういえば、あの担任、
その男子のことを庇っていたもんなあ。
「あの子も今、頑張っているんです!
ちょっと人の気持ちがわからないところがあるので
今は頑張っている途中なんです!」
嗚呼、うちの子よりそっちを庇うのね。
少し、特別な支援の必要な生徒で、
他の保護者から不満があがらないように、
一生懸命に火消しをしている感じでした。
その時は、とても腹が立ちましたが、
今は、もういいと思っています。
先生も、色々大変ですからね。
でも、次女が受けた嫌がらせは、
明らかに、いじめだと思います。
もう、書くのも嫌なほど嫌なことをされたので
思い出したくもないので、
書きません。
でも、いじめは学校にあります。
いじめの数は減っているなんて
教育委員会の資料を見かけますが、
いじめがあることには変わりありません。
減っていれば良しということでは絶対にありません。
学校に行かなくなった生徒より、
登校してくる大多数の生徒のことを考えなければいけない先生たちの事情もわかります。
だから、書きません。
でも、次女にとっては
あの状況は地獄だったと思います。
次女が、自分で逃げることができて
学校に行かないことを決断することができて
本当に良かったと思います。
学校に行かない生き方もある
このブログは、
学校に行かないと子どもが決めた親御さんたちに
私の経験から思うことをお伝えしたくて
書き始めました。
もちろん、学校に行けば、色々な体験や勉強もできるし
友達との人間関係も学ぶことができます。
じゃあ、学校に行かないと
それらはできないのか。
そんなことないんです。
学校に行かなくても、勉強もできるし、
友達を作ることもできる。
学校に行っていたらできない体験もできるんです。
だから、学校に行かない選択も、
アリなんです。
私は昭和に生まれて、小中高校、大学と勉強をして
社会に出て、会社に入ってコツコツと
会社のために働くことができる
その他大勢の人たちと同じ、
会社の駒として社会に尽くす人間に
育ち上がりました。
この生き方が正解だと思って、
信じて、我が子にもそれを勧めてきました。
いい高校に行って、いい大学に入れば
いい会社に入れて、年収が上がるよ。
で?
それで幸せなのか。
幸せってなんだ?
幸せは人それぞれ なのです。
別に年収が上がっても、幸せじゃない人もいます。
お金はなくても、趣味に全力を尽くして
とても幸せそうにしている人もいます。
年収は高くても、会社の社畜となって、
残業しまくって、
体を壊す人もいます。
私が子どもたちに刷り込んできた概念は、
本当に幸せになれるための正解なのか。
正解ってなんだ?
それも人それぞれ なのです。
そもそも、正解なんてないのです。
なので、学校に行くことが正解では決してないのです。
もっと自由に、柔軟に。
自分が居心地のいい場所を探せばいいんです。
学校は、うちの子を学校に戻そうと
一生懸命に連絡してきます。
でも私は、学校に戻らなくてもいいと思っています。
自分が居たいと思える場所が見つかるまで
次女に寄り添って、
一緒に色々なことを見て、体験して
楽しんでいきたいと思っています。
それでは、また。
YG@_@のつぶやき…
今日はとても天気が良かったです。
気持ちのいい晴れが続くといいですね。
今日の夕飯は、じゃが肉でした。
我が家では、下の子が肉じゃがのことを
小さい頃に“じゃが肉”と言っていたので、
そのまま、今でもじゃが肉と言います。