子どもが不登校になって、こんなに子どもたちの自己肯定感が下がってしまっていたとは思ってもいませんでした。どちらかというと、褒めて育てていたはずなのに、それ以上に普通の家庭よりは子どもたちを追い込むような無言の圧力をかけていたようです。そんな毎日を繰り返した結果、思春期を迎えた子ども達との親子関係がガタガタと音を立てて崩れて。長女に続いて次女が不登校になってからは、姉妹喧嘩も増えて、「お前なんか早く出て行けー!」と次女が長女に怒鳴る始末。我が家は一体どうしてしまったのだろう…。そんな状態から、今では、また家族4人で一緒にゲームを楽しむまでに関係が回復しました。子どもたちの自己肯定感の回復のために努力したことと、親子関係の修復方法についてお話しします。
子どもの全てを認めてあげる
子どもの言動を否定しない
不登校になった頃は、とにかく無意識に
子どものいうことを否定していた気がします。
なんであんなに否定していたのか。
私 :「ご飯、何食べに行く?」
子ども:「スシローがいい」
私 :「えー、この前行ったじゃん。パスタ行こー」
子ども:「・・・・・」
とか。
私 :「今日、どこ行くー?」
子ども:「ゲーセン行きたーい」
私 :「えー、うるさいからやだ。買い物行こうよ」
子ども:「・・・・・」
とか。
とにかく、否定。
多分、口癖?
言われたことに対して、反対のことを言う癖がついていました。
私が子どもの頃の話です。
親戚が言ってきたことに反論したら、
「なんでお前はいつも素直じゃないんだ!」
って突然、怒鳴られたことがありました。
「◯◯みたいに素直になれよ!だからダメなんだよ」って、よく祖母の家で一緒に遊んでいた、歳が一つ違いの素直で可愛い“いとこ”と、とにかくよく比べられて、完全否定されたことがあって。
ずっと忘れられない記憶です。一種のトラウマ?
反論した素直じゃない私が悪かったのか。
でも、反論癖は、大人になってからも変わっていないことに、ずっと気づいていませんでした。
子どもが言うことを、とりあえず否定する。
無意識だったんです。
子どもが不登校になって、反抗期になって、
私に反論されたときに、
「どうせ、俺が何言ってもダメなんだよ」
と怒りながら言った子どもの言葉を聞いて、
ハッとしました。
(この子が生まれてから、ずっと「そうだね」って言ってあげてなかったなあ。ずっと否定してから会話を始めてたなあ)
と気づきました。
否定=自己肯定感爆下がり
人は否定されてばかりいると、自信がなくなって、
自己肯定感が爆下がりする。
自分が子どもの頃を思い出すと、
私の母は、絶対に私の言うことを否定しませんでした。
「へ〜。そうなんだね〜すごいね〜」って。
だから、私の自己肯定感は下がらずに済んだのです。
なのに、私は母と逆のことをずっと子ども達にしてきました。
次女が不登校になって、10ヶ月目にフリースクールに行きたいと言い出して、そこでお会いした先生に、
「とにかく、お子さんは全てに対して自信がなくなっている状態なので、何をしてもいいんだよ、どんな状態でもいいんだよと、とにかく受け入れてあげてください」
と言われました。
確かにその頃、次女はオドオドしていて、
全てに自信がなくて、
「何をしても、どうせ自分はダメなんだ。」
と言って、一人では何もできない状態でした。
(自己肯定感が下がるとは、こういうことなのか)
と、目の前で何事に対しても挑戦することをやめてしまった次女を見て、これまでの母親としての態度をあらためました。
フリースクールの先生に言われた通り、
とにかく、次女の言動や行動を肯定する。
「大丈夫だよ。」
「いいねえ。」
「自分で決めていいんだよ。」
「この絵、上手に描けたねえ。」
「ゲーム、上手くなってきたねえ。」
「ご飯、全部食べれたねえ。」
「その服、似合うねえ」
「身長が伸びたんじゃない』
と、肯定の言葉を繰り返しました。
すると、何をやるにも
「どうせダメだから」
「自分なんて何やってもできない」
と諦めモードで否定的な発言の多かった次女の発言が
だんだんと、変化してきたのです。
「また、絵を描いてみようかな」
「ネットに絵をあげてみようかな」
「新しいゲームをやってみようかな」
「新しい服が欲しい」
と、前向きな言葉が増えてきたのです。
「どうせ、フリースクールでもみんなに嫌われるんだ」
と最初は言っていたのに、
「友達を家に呼んでいい?」
と言うようにまで変化してきたのです。
言霊とは、本当に大切なもので
たとえ親子間であっても、発言には気をつけて
子どもを不必要に傷つけないように
優しい言葉で受け止めてあげることが大切だと
フリースクールの先生から、気づかせてもらいました。
不登校後に良好な親子関係が築ける家庭は2割
不登校で親子関係崩壊
これは、不登校支援をしている団体の記事を見て
知ったことです。
子どもが不登校になると、親子関係が崩れてしまう
家庭がほとんどだということ。
不登校になると、子どもは落ち込んで、
ご飯も食べなくなって、話もしなくなって
いつもイライラしていて、怒鳴ることもあります。
そんな子どもを毎日見ていると
親のこちらもイライラして、
(家に帰りたくないなあ。)
(またあの顔を見なきゃなのか)
と、塞ぎ込んで覇気のない子どもと向き合うのがツラいと思っていた頃もありました。
子どもを怒らせないように
無駄にイライラさせないように
腫れ物に触るように、気を使っていたので
当然、親子関係は崩れて、
夫と私は、小さな声で会話しながら
夕飯を食べていた時もありました。
不登校の子の親として心がけていた8つのこと
次女は全く話さなくなり、
他のご家庭よりはにぎやかだったはずの
我が家から、笑顔と笑い声がなくなりました。
どうしてこんなことに。
何がいけなかったんだろう。
どうすれば良かったんだろう。
どこで間違えたんだろう。
なぜ。なぜ。なぜ。なぜだ。
疑問符だけが、心の中にわいては消えて。
誰にも聞くこともできず、
相談することもできず、
ただただ、悩んで、自分を責めて。
結局は、母親の私が悪いのか。
なんとか答えが知りたくて、
いろいろな不登校の記事をネットで読みあさり。
この頃から
少しずつ、心がけていたことがあります。
- 子どもに過干渉しない
- 自分と子どもの人生を切り離して考える
- 子どもに自分の人生の責任を取らせる
- 「〜しなければいけない」という考えをやめる
- よそのお宅と我が家を比べない
- 自分を俯瞰してみる
- 回りの目を気にしない
- 子どもの行動の先回りをしない
他人と自分は同じ考え方をしていると思っていたのに
考え方の癖は人それぞれで、
夫と私でさえ、全然違ったということに
子どもが不登校になって気づきました。
少しずつでいいんです。
考え方の癖を、ずらしていくと、
とても楽になります。
そして。
自分が楽になると、子どもも楽になるんです。
母親の顔が穏やかになると、子どもは安心するんです。
すると、だんだんと、親子関係が
元に戻ってくるんです。
以前のような笑い声が、家の中に戻ってくるんです。
考え方を変えるのは時間がかかりますが、
少しずつでいいんです。
やってみると、
見ている世界が変わります。
穏やかな気持ちが
穏やかな我が家が戻ってきます。
いじめられた側が不利益になるのはおかしい
なぜ被害者の方が学校にいけなくて加害者が登校しているのか
子どもが不登校になってから
どうしても納得のいかないことがあります。
なぜ、いじめられたうちの子の方が
学校にいけなくなっているのか。
うちの子は、昼夜逆転になって、家に引きこもって
私もうつ病になったのに、
いじめた側の子達は、何もなかったように
なぜ普通に学校に行っているのか。
いじめがあったときは、確かに
先生がいじめた側の子どもたちが泣くまで怒ってくれて
次の日には、「なんか、ごめんな」
と軽く謝ってきたそうです。
それで、学校側もいじめた側も解決したと思っている。
学校も、いじめた側の子も、
うちの子が学校にいけないのは、いじめが原因とは
思っていないのかもしれません。
うちの子は、あれから1年以上も苦しめられているのに。
だからと言って、今更、何かを蒸し返そうとは
思っていません。
でも、いじめた側への対応としては
間違っていたと思います。
中学生にもなって、人をいじめると言う行為は、
やはり精神発達の面で問題が生じていることだと思います。
謝れば済むなんて、簡単なことではないのです。
日本でもいじめ加害者の更生プログラム導入を
アメリカでは、いじめられた側ではなく、
いじめの加害者のほうに問題があるとして、
いじめた加害者の方に心の問題があると捉えて、
更生プログラムに参加させる
とテレビの特集で見たことがあります。
いじめの加害者をプログラムに参加させることで
謝って終わりという状態にはせず、
・どうしていじめるをする心境になったのか
・何か、発散したいストレスを抱えているのではないか
・なぜ、いじめを継続的におこなったのか
・なぜ、相手の気持ちを考えることができなかったのか
などをじっくりと考えさせて、
更生されなければいけないのは、加害者側
だと思うのです。
その後、またいじめの被害者を出さないためにも、
加害者の更生は必要だと思うのです。
いじめられた側の子も、学校に行けなくなることは無くなるかもしれません。
日本でも、1日でも早く、こう言う考え方が
取り入れられるといいのにと、
心から願っています。
それでは、また。
YG@_@のつぶやき…
今日はまだ6月なのに暑かったです。
午後から体調が悪くなって、
2時間早めに早退させてもらいました。
少し横になったら、だいぶ良くなりました。
前の私なら、絶対に、就業時間まで
我慢していたのですが、
自由に生きている次女のおかげで
「ツライ」と周りにいうことができました。
私も、成長してる。