はじめまして。サンです。
このブログを読んでくださっているあなたへ。
子どもの不登校で、今しんどい思いをしていませんか。
私も、そうでした。
どん底まで落ちて、這い上がってきた母親です。
家族のこと
夫と子ども2人、犬1匹、インコ3羽、オカメインコと暮らしています。
子どもは2人とも、不登校を経験しました。
まさか、自分の子どもが不登校になるなんて。
まさか、自分の子どもがいじめられるなんて。
まさか、自分が病むなんて。
思ってもいませんでした。
半世紀も生きていると、本当に色々なことが起こります。
色々あって、結局、一番大切なのは家族。
そのことに気づきました。
長女の不登校
最初に不登校になったのは、長女でした。
高校3年生の夏休み直前から、朝起きられなくなって。
そのまま、学校へは行かなくなりました。
でも、出席日数はギリギリ足りていたので、卒業はできました。
高校には行かないまま、塾に通って受験勉強をして、大学に合格。
今は県内の別の市で、一人暮らしをしながら大学4年生として過ごしています。
先日、地元で一番有名な銀行から内々定をもらいました。
ずっと、国立大学に進学してもらいたいと、小さな頃からたくさんの塾に通わせていました。
週6で習い事をさせていたのです。
高校で不登校になった時に、学校のスクールカウンセラーさんと面談した長女にカウンセラーさんが言ったそうです。
「あなたはこれまで頑張ってきたから、少し疲れちゃったのね」
この言葉で涙が止まらなかったそうです。
私が目指させていたことは、長女を泣かせてしまうようなことでした。
いい大学に行けば幸せが待っていると信じきっていた過去の私。
でも、進学した大学名は、就職に関係ない。
長女が、身をもって証明してくれました。
次女の不登校
長女が不登校になった年、次女は中学1年生でした。
クラスメイトからのいじめを受けて、冬休み明けから登校しぶりが始まりました。
そして2月。
次女は自分でお姉ちゃんに宣言したんです。
「もう学校に行かないって決めた」と。
これは、後になってから次女に聞いたことです。
追い詰められていた時に、本音を話せるお姉ちゃんがいて本当によかった。
長い長いトンネルを抜けて、中学2年生の12月。
次女の体力が戻ってきた頃にフリースクールへ。
先生や仲間との出会いで、少しずつリハビリが始まりました。
今は通信制高校2年生。
オンライン授業を自宅で受けながら、自分のペースで過ごしています。
イラストが得意で、好きなアニメの作画を毎日しています。
アニメ・イラスト専門学校への進学を、ぼんやりと考え始めているようです。
私が、どん底に落ちた話
次女が不登校になった頃、私自身もギリギリでした。
子どもの変化についていけず、親として戸惑った時期があった。
変化を受け止めきれない自分。
“理解したいのにわからない”苦しさを抱えていました。
さらに追い打ちをかけて、更年期の体調不良。
実母のアルツハイマー型認知症が進んでいく日々。
職場でのストレス。
相談できる人が、誰もいませんでした。
友達にも、子どもの不登校を打ち明けられなかった。
毎朝起き上がるのがやっとで、
無意識に「誰か助けて」と独り言をつぶやいていました。
家事も育児も、何もできなくなって、
一日中ベッドから出られない日が続きました。
ついには、子どものために受診した児童精神科で先生に、
「まずはお母さんが受診してください!」
と言われて、初めて自分の方が病気なのだと気付かされました。
心療内科を受診したら、「うつ病」の診断。
軽いうつ傾向なのかな、くらいに考えていたのに
病名がついてしまったことで、一気に谷底に落とされる気分でした。
そして、有無を言わさず療養休暇に突入となったのです。
だから、本当に壊れかけていた私を救ってくれたのは、子どもたちなんです。
子どもたちが不登校になって、結果、限界になっていた私も救ってくれた。
今はそう思っています。
夫が、毎日連れ出してくれた
療養休暇をとっている間、夕方、夫が仕事から帰ってくると、
必ず私を外に連れ出してくれました。
近くのスーパーまでの散歩。
雨の日も、風の日も、雪の日も。
その頃、次女が唯一口にできたのは
タピオカミルクティーとみかんゼリーだけでした。
それ以外は何も受け付けなかったのです。
夫と私は毎日それを買いに行って、冷蔵庫に切らさないようにしていました。
散歩の道すがら、次女のその日の様子を夫に話しました。
夫は私の話を聞きながら、こう言い続けてくれました。
「子どもの人生は、子どもの人生だから。」
その言葉を聞くたびに、少しずつ、自分の考えが変わっていきました。
自分の人生と子どもの人生を、切り離して考えなければいけないと。
退職、そして回復へ
療養休暇と職場復帰を何度か繰り返した後、ついに本当の限界がきて退職しました。
退職してからは、次女と2人、家でゆっくりと流れていく時間の中で過ごしました。
急いで回復しようとしなかった。
ただ、一緒にいた。
私自身の体力が戻ってきたら、庭の草むしりをしたり、日帰り温泉に常連になるまで通ったり。
たまに散歩しようと次女を誘うも、断られて落ち込んだり。
そんな風に過ごしていたら、私も次女も、
徐々に徐々に、回復していきました。
調子がいい日があったり、またドーンと落ちたり。
前に進んだと思ったら、また振り出しに戻ったように具合が乱高下。
一生この状態が続くのかと思っていた頃もありました。
今の、“私も次女も毎日、おおむね体調がいい状態”でいられる日がくるなんて、考えられませんでした。
このブログを書いている理由
うつ病になって、どん底を経験したとき、
実は、ずっとこう思っていました。
「転んでも、タダでは絶対に起き上がらない。」
子どもが不登校になったとき、
学校の先生は何も教えてくれなかった。
相談に乗ってくれなかった。
自分で調べるしかなかった。
どうやって育児したらいいのか、わからなくなった。
そんな孤独の中にいる親御さんに、このブログが届いてほしい。
専門的なアドバイスをするつもりはありません。
ただ、私が経験してきたことが、
立ち上がるための、何かのヒントになればいい。
困っている人に、優しい声かけができたら。
そう思って、書いています。
不登校の先は、暗闇じゃない。
それを伝えるために、このブログを続けます。
1人で抱え込む必要なんてありません。
大丈夫です。
一緒に考えていきましょう。
“子育て中の私が読みたかったなあ”と思うコラムを、ファミくるに寄稿しています。
よろしければ、こちらもどうぞ。
それでは、また。

